こんなに今は元気な私ですが、昔はたくさん病気をしました。

また間違った思い込みに支配されていました。


小学校ではいじめに遭い、頭痛、腹痛に毎日悩まされ痛み止めが

手放せませんでした。不眠は小学校2年から28歳まで続きました。

中学校でも2年までいじめは続き、胃潰瘍。腎盂炎、盲腸になり

生理痛は針やあんまマッサージのお世話になりました。

高校はなんとかいけたものの中々お友達に恵まれず表面的な

付き合いをしていました。



桑沢デザイン研究所の夜間に合格して、初めての親友が出来たところから、やっと人生を楽しむことを覚え始めました。デザイン事務所を二つ掛け持ち、百貨店で平日働き、土日はナレーターやモデルの仕事、何もないときは皿洗いやお運びをして夜中は銀座で乾杯ワークをして学費、生活費を賄いました。


夜間学校の課題と昼間の仕事、夜の銀座乾杯ワークで何度も倒れながらお仕事のチャンスを頂き、

テレビ局番組作、映画宣伝の仕事をしましたが、残念なことに子宮のがんで子どもを亡くして、

自分を責め静かに病み始めました。子どもを10年は産めないと言われて結婚をあきらめました。


しまいには体調を壊して仕事を減らし、ホステスのみになりましたが、

その3年後、気管支炎、子宮筋腫手術、腸閉そく、膵炎を併発しホステスをやめて静養しました。


この時に自分の物事の考え方が病気を引き寄せているのでは?とポジティブ思考になれるよう考え始めました。

脳のしくみを勉強し、何に落ち込むかを分析し始めました。誰かのせいにしない生き方を模索し始めました。


新しく仕事を始め、オートクチュールの服を扱う営業として成績をあげていくうちに、心に決めたことは実現することを確信しました。営業目標の達成と共に真に扱いたいもの、売りたいものは美術品だと気づき、ギャラリーに就職しました。生きている中で今の私の経験で2番目に最高の仕事です。

最高過ぎて、寝食を忘れて働き、過労死しかけてしまいました。また首をねん挫したまま生きていて身体感覚がおかしくなっていたことに気が付いて整骨に毎日行きました。週一は整体の先生にも骨盤を治してもらいました。


過労死しかけたことで、やっと不眠と向き合い治すと決意して、

睡眠薬のお世話になりながら、

寝たきりで2年療養しました。箸を持てないほどの脱力や体中の痛みをキュウレイコンという生薬で

抑えなんとか復帰してまた働きたいと必死でした。

またこのころ『食べて治す医学事典』で頭痛は梅干しで治す努力を始めてそこそこの成果をあげていました。


そして30歳で心臓病が見つかり、さぼりたくて具合が悪くなっていたわけではなかったと訳がわかり、

自分を責めることを少し手放せました。


出会いを頂き33歳で結婚したものの、夫の気分に振り回されることで

いじめられた過去から自分が愛されない思い込み、理解されない思い込みをこじらせ

トラウマに悩ませれ始めました。

また喘息と群発頭痛が始まり、腸閉そくも頻繁に起こしました。


再度、自分と向き合い、ヒプノセラピー、チャクラセラピーを受け

『落ち着く気持ち』とはどんなものかを初めて知りました。

いつも落ち着いた振りをしていたことに気づき愕然としました。


睡眠薬を止めたくて解剖生理学と薬学を独学で学び始めました。

温熱療法と出会い、阿保先生ともお会い出来て、アロマセラピー、

ハーブの植物療法、ホメオパシー、フラワーエッセンスの療法で体を治すことに集中しました。


ここでたまたま通っていたフェイシャルエステの先生があまりに安く施術するため、

背中のマッサージをお礼にしたところ、大変喜ばれて、

紹介を頂いたお客様むけにボディセラピーを自宅で始めました。


そして紹介で顧客を増やし、出張の仕事をしていくうちに、

夫の暴力や暴言を受けている自分に気づきました。


離婚を真剣に考え、今の自分の施術は正しいのか理解するために

ホリスティックセラピストスクールに通いセラピストとして自信を確立しました。

またかみ合わせを治せる整骨の先生に学び、整骨を人にして良い許可も頂きました。

そんな中

通学中に小田急線の事故で人命救急をしたのですが、その時に命を預かるプレッシャーから

結節性紅斑になりました。

ここで初めてステロイドを内服せざるを得なくなり飲んだところ、

たちまち足の腫れや痛みが消え、逆に怖くなりました。


ステロイドについて調べるうちに『アトピー性皮膚炎』を知り、泣き崩れました。

こんな皮膚で辛い思いをして生きている人がいたなんてことを知らなかったことを恥じて

学校を出たらアトピー脱ステ協力サロンをやると決めました。

離婚に向けて渋谷に自宅兼サロンを開店し、アトピーの脱ステをしたい人が3人来る!と決めました。

そして写真デザインの事務所でデザイナーとしてサロンの家賃を稼ぎながら

実際に来た3人に脱ステ施術を始めました。そして晴れて離婚でき、自由の身になりました。


サロンは順調でした。このころ今の夫と出会い、安心感のある関係を真に知りました。

夫の人間性に触れていくうちに、いかに自分を犠牲にしすぎて愛していなかったかをどんどんわかるように

なった時にまた体が動かなくなりました。リウマチを発症していました。


このあたりで、振り返ると、体調は壊れるタイミングを計っているようでした。


いまならいいよ!みたいに私が休めるときを選んで倒れているかのようでした。

野口整体の本で『病むは力』に痛みが出始めたら回復期とあります。

わたしはやっと体が悪い症状に心から向き合いはじめました。

症状を憎まず、受け入れること。ありがとうをいうこと。


サロンを開けているとがむしゃらに頑張る私がいるため、サロンを手放して、派遣会社で販売をして暮らしましたが、

成績を認められ販売の研修を任され、仕事も取ってくるようになり、面接、キャリアコンサルもするようになりました。


販売の売り上げを上げるために一番必要な事は

本人が自分を好きでいることです。

自己肯定感がある人を採用すれば、売り上げは自然に伸びました。

自分を好きになれない人には丁寧にカウンセリングをしました。

これが私のセラピーの原点になると思います。


震災で会社の人材派遣部門を閉鎖することになり

サロンは閉めていたものの、どうしても私でなきゃだめだというお客様の施術を続けて暮らしていました。

そしてクラニオセイクラルでより深いリラックスを知り、悩まないようにだんだんなっていました。


その後、ご縁がありマインドブロックバスターインストラクターになり、潜在意識で自分の親との確執やたくさんの

いらないものを手放すことに成功するうちに、ネガティブをブロック扱いして解除する以上に

カウンセリングによる掘り下げが大事だと気づいて、自分のセラピー構築の夢が湧きました。


2015年の6月から『癒しのミュージアム』に出店することで、

セラピー構築が加速し、ホームページを作るきっかけも頂きました。


明るく仕事が出来るふりをしていたり、必死に毎日を生きて、肩の力の入りっぱなしの私が

一度ならず何度も仕事を諦め、体調に泣いて泣いて、痛みに恨んだりありがとうしたりして、

たくさんのものを手放してやっと生み出せたセラピーです。

真に必要な方に届くように祈るばかりです。


長い文章をお読みくださりありがとうございます。